不易流行。
 この言葉は松尾芭蕉の俳句の理念である。
 時代の流れに添って変わるもの。
 時代がどう変わろうが変えてはならないもの。

 このラン菌による炭素循環栽培法を構築するとき、
 ラン科植物の進化がどういう理念で行われて、26000の原種まで多様になったのか。
 そして、生物の進化というのは、この不易流行ではないか???
 絶対変わらないものと、環境に適応して変化してゆくものをあわせもつ。
 このことをラン科植物は明瞭に示す生物であると言える。
 進化の中で、変えていいもの、変えてはならないものを、植物も選択している。


 ランが環境に適応し変えたもの。
 ラン科植物約26000は全て、花の構造の進化は、受粉に関る動物、
 特に昆虫の進化にあわせて行われて来た。
 中には、一種の昆虫に適合するように花を進化させたものすらある。
 一種の昆虫に狙いを定め、この昆虫の性癖、行動・・・を徹底的に調査し、
 これにあった花にまで姿を変化させて受精する。
 植物生長の最終目的が子孫を残すためであることだから、
 そのためには何でもする!
 それを流行というのか適応というのか・・・。
 
 こういうことを考えると、ラン界が行っている花の審査、香りの審査というのは、
 ランからみれば、とんでもない見当違いなことに熱狂していることになる。
 ランの受精ということからみれば・・・丸弁、極整形花、サイズなど大した意味はないこと。
 人間というのは、身勝手な解釈で・・・アレコレ花を審査する動物である。
 花を生殖器という見方をすれば・・・・・ランのすごさが見えてくる。
 パフィオの袋のすごさが見えてくる。
 昆虫との命をかけての駆け引き、手練手管が・・・。
 香りは昆虫を誘うためのもの。
 だから、昆虫が訪れる時間帯に香ることになる。
 そういうランが多い。
 だから、審査する時間、温度が違う場合は全然香りがない花になる。
 こういう花の多様な変化は・・・・ラン図鑑を見てください。
 更に、葉、茎の形状も光合成と深く関り多様に変化している。
 全て子孫を残すためのもの。
 子孫を残すことに、ここまで昆虫に合わせて進化を行った植物がランである。
 つまり昆虫の流行を追う植物がランである。
  「変化する環境に適応するものだけが生き残る」。
 ラン科植物にもダーウインの進化理論を見ることが出来る。  

 変化しなかったら、進化しなかったら、子孫を残すことは出来ない。
 それがランの多様を作った。26000の原種を作った。

 そういうことで、ランを愛好するものは、花の多様さ、美しさを愛好してきた。
 この多様と、美しさは人間の愛好のためにあるのではなかった!
 全て子孫を残すために姿を替えた。
 しかし、花はランにとっては途中経過に過ぎない。
 種子が実らなかったら何の意味もない。
 ラン愛好家は、花を愛でるので種子など全然眼中にないが・・・
 トンでもない間違いであろう。
 しかし、自然は過酷で、昆虫も必ず訪れることはない! 
 ランはこのことを良く知っている。
 種子にだけ子孫を残す大役を任せることは危険。
 そういうことで、栄養繁殖もする、リゾームも保存する。
 子孫を残す場面でも多様な方法を具備した。
 森林の負け組み、新参者は、自然の不条理に多様な進化で対抗した。
 地上の組織は環境に適合するように進化した。
 これを「流行」という。
 歌は世につれ、世は歌につれ・・・・流行歌である。

 ランか植物が進化の中で変えなかったもの。
 しかしラン科植物26000が絶対変わらなかったものがある。
 
  ○ 胚乳を具備しない種子。
  ○ プロトコームを捨てなかった。
  ○ ラン菌との共生。
  ○ 菌根。
 
 最も重要な不易はラン菌との共生関係である。
 そして菌根を変えることをしなかった。
 根は根本の組織である。
 不易・・・・菌根。
 ラン科植物26000、全て菌根植物である。
 他の部分は、植物で最も多様に変化させたランが、かたくなに変えなかった根。
 このことはどうしたことなのか????
 このことを研究するのが・・・本当のランつくりである。
 花を咲かせアレだ、コレダと騒いでいることなど、唯のラン遊びなのかも知れない。
 つまり、ラン科植物の真実に迫るものではないからである。
 蘭展の会場に昆虫一匹訪れないラン展というのは、本当のラン展ではないのかも。
 
 ランが絶対変えなかった不易な菌根。
 これを無造作に人間はランに捨てさせた!
 ラン菌の生息しない水ゴケ、バーク、軽石・・・・などでの栽培。
 ランの本当の進化の意味を理解しない栽培法で約200年栽培してきた。
 この非科学性というのは、植物分類学の科学性と比較すると、
 これが同じラン界なのかという疑問と奇異が感じられる。
 なぜ、ラン界は根という根本のところを削除したのか。
 ランは生存するための根本を知っていた。
 根を簡単に変化させたら絶滅する。
 エネルギーの調達を安易に変えたら命取りになる。
 最も安定しているのが地下の支配者材木腐朽菌との共生である。
 そこには、安定した炭素エネルギーの糖がある。
 他の植物が生存している限り、この糖、エネルギーは枯渇することはない。
 そういうことで、生きる根本の基盤の菌根を捨てなかった。
 現代の言葉で言えば二股。
 ハイブリッド。
 エネルギーを確保し、最小限の安定の上に、花、茎、葉・・・を流行させている。
 この生き延びるための戦略は巧妙である。
 ランの素晴らしさは花にあるのではなく、生き延びるための戦略にこそある。
 こういうことが、ラン展の会場では見ることが出来ない。
 ラン展というのは、表層の浅いもので興行するしかないのが残念である。
 人間の技術など、本当はランにとってたいしたことではないのかもしれない。

 この流行の組織を観察し違いを細部まで記述するのが植物分類学である。
 全てのランに共通する菌根。
 これについては、植物分類学では大雑把な形状の説明で終る。
 そういうことで、これまでのラン界は、ランの本当に大事にした菌根を無視してきた。
 不易なものを削除した現在のラン栽培技術が、
 いかに無謀なものなのか、砂上の楼閣のように脆いものか。
 ラン菌削除では、ランは喜ぶ栽培は、絶対不可能なことを知れば、
 流行に焦点を合わせることから・・・自生地の生態系に合わせる研究が、
 これからの流行になる。
 つまり、これまでは、尾瀬沼に自生している植物の名前が重要であったが、
 これからは、それらの植物が高地湿原どういう生態系の中つくり生息しているのか。
 そういう研究が重要になろ。
 ラン界では、例会でのラン説明でもわかるように、例えば、尾瀬沼に咲いている植物の名前を、
 多く知っていることが権威者であった。
 そして、どこが自生地であることを知っている人が権威者であった。
 博物館の学芸員的な知識。
 
 
その知識、知見の基礎にたって、ラン菌による炭素循環栽培を行う。
 こういうことをやれば、誤りのない生態系によるSUGOI-neラン栽培が出来る。
 博物館の学芸員的な知識に偏重してはランは作れない。
 栽培には、現場での実学が必要だからである。
 ラン科植物の不易流行を深く考察すると、
 ランにとって、いかにラン菌が重要なものか、ラン菌が構築している生態系が、
 ランにとってのライフラインなのか理解出来る。

 地球上で最も不易なものの一つが、材木腐朽菌による炭素循環である。
 地球上の植物のほとんどは、このシステムの中でいき続けて来た。
 
 日本のラン界の近年の流行は「原種栽培」。
 ラン界は狭いところだから、権威者、大御所が原種を推進、仕掛ければ、
 原種へ原種へ、メデアも本も流れる。
 テレビというものもあって、短時間にもの流行は行き渡る。
 しかし、これは、逆に短時間に終焉することにもなる。
 俳諧、俳句の江戸の時代にも・・・・流行があったようで、
 松尾芭蕉は・・・・不易流行という言葉を用いたようである。

 ラン界が絶対変えてならないものは、不易でなければならないものは、
 より美しいランを作り出すということである。
 育種がランつくりの「王道」である・・・という理念である。

 新種を発見するというのは、地球上に未発見のラン、植物がある場合である。
 全てのランを発見し終えたとき、この研究は終焉になる。
 新種を販売する商売も終焉になる。
 より美しいものを求める人間の美学には終焉がない。
 だから、ラン栽培は、原種そのものを愛好するよりも・・・・
 自分の美学を進化させ、自分の花を、美を創造する育種が王道なのである。
 そういうことで、世界のラン界は、育種で発展してきた。
 原種はあくまでも育種の素材である。
 育種にも限界がある。
 変えていいものの範囲でしか改良は出来ない。
 花、葉。茎・・・などの形状。
 ランでは、菌根、胚乳のない種子、プロトコームなどは変えることが出来ない!
 人間の仕事などは、ランの悠久の進化の歴史からみれば小手先でしかない。

 
SUGOI-neは、ランの変えない菌根が、自生地と同じように、
 発生伸長する世界唯一のラン菌が生きている用土である。

 
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ラン科植物は「不易流行」!
 
    
         
進化の頂点の理念とは
         ランが変化したものと・・・絶対変えなかったもの